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虫刺され

今週だけで3か所蚊に刺された。

右肘と左肘を交互に刺され、ついさっき足首を刺された。ツネもキレるレベルの刺し方ではないのか。

折角今シーズンもプチウナを買ったのに、大体刺されるときは持ち歩いていない。持ち歩けば刺されない。何なんだ。今、ひたすらに足首を掻きむしりたい衝動を抑えながら記事を書いている。

 

蚊に刺されないためには足をよく洗うと良い、という雑学がいつからか広まってしまった。

その情報自体は確かにありがたい。足の洗い方を見直すだけで蚊に刺されづらくなるのなら、喜んで実践する。身体に虫が止まるのも血を吸われるのも痒くなるのも全てが不快なので、避けられるものならもちろん裂けたい。

が。

 

「足をよく洗うと蚊に刺されにくい」のならば、

「蚊に刺されやすい人は足が不潔」なのではないか?

 

こういった認識をされてしまうと困る。非常に困るのである。

もし私が何の気なしに「蚊に刺されちゃった(笑)」と呟けば、私の周りの人間は「えじかちゃん、不潔……」と感じてしまうことになるのだ。

嫌過ぎる。

 

そしてこの記事を書いている間に普通に二の腕を刺された。いい加減にしてほしい。

蚊や蝉と戦う季節が始まったのを感じている。

よでん

夜に、電車の電で、夜電。電話の電ではないから、「よるでん」ではない。「よでん」である。

そんな読み方はしないし、そんな言葉も無い。が、私は夜の電車のことを心の中で「よでん」と呼んでいるのだ。

 

中学校から電車通学を始めた。

初めての通勤ラッシュに揉まれながら、初めての通学定期をずっと握り締めていた。

通学定期にクッキリと印字された最寄り駅と学校の最寄り駅、そしてそれを繋ぐ矢印と「中」「学」の文字、全てが新鮮でワクワクしていた。

部活を始めて、初めての「よでん」も体験した。

吊革に両手を引っ掛けて、両腕で頭を挟み込むようにしてうつらうつらするサラリーマン。座席には窓にもたれて口を開けたまま眠っているOL。そして車窓は鏡のように車内が映っている。

私はそこに顔を近付けて、「よでん」の車窓を眺めるのが大好きだった。

ベッドタウン特有の大きな集合住宅が灯している規則的な明かりが好きだった。そこには夫の帰りを待つ奥さんと息子がいるのだと、勝手に想像を膨らませるのが楽しくて仕方無かった。

駅沿いの自動車学校では、ゆっくりと教習車が所内を回っていた。まるでトミカのようで、小人達の世界を眺めているようで、目が離せなかった。

中学生の私は、常に「よでん」を楽しんでいた。

 

月日は経ち、無事に大学へ入学した。「よでん」の定期ではなく、新しいカードで地下鉄の定期を買った。

大学は何もかもが刺激的で、中高一貫校の狭い世界しか見つめていなかった自分にはあまりにも広かった。広過ぎた。

毎日が新鮮だった。

 

が、新しいことを知る度に、あれ程憧れていた大学生活を過ごしていく度に、何だか寂しくなった。

両手で抱えきれない程の存在だったものが、少しずつ萎んでいくような気がした。

「こんなもんか」と、大学生活を現実的に認識していくのが虚しかった。

地下鉄には、「よでん」の車窓が無かった。

 

今日は、地下鉄が地上に出たときに、座席から車窓を眺めた。

そこには、あの頃と変わらない「よでん」の景色があった。  

「よでん」の車窓が無かった訳ではない、いつの間にか「よでん」から離れていったのは私でしかなかったのだ。私が新鮮さを見つける目を失っていたのだ。

 

電車からは、私の住むマンションの規則的な明かりがあった。

 

今、私の家族は私の帰宅を待っている。

大蒜

全く勉強が手につかない。

 

今日は遅く起きて、ラーメンを食べて、夜ご飯の食材を買った。

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↑近所のラーメン屋。大蒜が効いていて美味しい

 

帰宅後、申し訳程度に民法のレジュメを眺める。

権利の濫用。権利能力。意思能力。行為能力。

訳の分からない単語が角膜に刺さってきて危ないので、素早くレジュメをしまった。

 

まぁ何とも情けない、哀れな学生の範とも言うべき存在であるか。

口の中に残る大蒜が、自分の不甲斐なさとだらしなさを思い知らせてくれる。

私は、それを振り払うように豆乳を飲み干した。

 

これで何となく4年間を過ごしていくのか。このままの自堕落な精神で社会へ出ようというのか。

私こそが、制限行為能力者なのではないのか。

 

未成年なので、本当に制限行為能力者ではあるのだが。

 

じきに梅雨も明ける。

パッチョくん

少し値の張る洋食屋やイタリアンに行くと、毎回メニューが分からない。

トマトとチーズを交互に並べた料理を「カプレーゼ」というのだと知ったのは、つい最近のことだ。

ガスパチョ」なんて、ガス会社のキャッチコピーじゃないのか。火どころか冷製スープなんだからたまったもんじゃない。いや、私がそれで困惑することなどは、ガスパチョパッチョくんも知ったこっちゃ無いわけだが。

 

ペリエとは何なのか。パンナって何なんだ。ビアンコとロッソってどういう意味なんだ。

全く分からない。お店によってはメニュー名の下に使用している食材や料理の簡単な紹介文を書いているが、分からないもんは分からないのだ。

ファミレスの、デカデカとスパゲッティの写真が載っているグランドメニューに慣れ親しんできた私は、美しいイタリックなセリフ体で書かれたメニューの前に為す術もないのだ。

 

悲しいかな、庶民の私は今日もサイゼリヤで「ドリア」を頼むのである。